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2021.05.22
スタッフブログルルル文庫

ビートルズ史上最激動の1962年に絞った活動記録!サイコー!!「ビートルズ・ストーリー Vol.7 1962 ~」藤本国彦 著

こんにちは 高知初のシェアハウス&ゲストハウス支配人のタローです

宿は「待つ」のも仕事 お客さんを待っている間に読書 線を引き引き読んでます

さて、今日の本は・・

ビートルズ・ストーリー Vol.7 1962 ~これがビートルズ! 全活動を1年1冊にまとめたイヤー・ブック~

藤本国彦

先日、書店でふと手に取った「真実のビートルズ・サウンド[完全版] 川瀬泰雄」を読んで、人生3度目のビートルズ・ブームがやってきたのを確信しました。(ちなみに最初は高校生、その後20代前半、そして現在49才!)

いやあ、この本も面白かったですが、今回読んだ「ビートルズ・ストーリー Vol.7 1962」も、やたらと面白かった!

この本は、シリーズになっていて、1962年の出来事に絞って書かれています

個人的にはビートルズのサウンドとしては中期及び後期が好きなので、この1962年と言うつまりビートルズがデビューをした年、この年のことにそれほど興味はありませんでした。でも読み始めるとぐいぐい引き込まれました。 何せこの年はビートルズがレコードデビューした年であり、またその少し前にメンバーチェンジが行われたり、そして5人めのビートルズと言われることになるプロデューサーのジョージ・マーティンと出会うのもこの年です。つまり激動の1年だったと言うことです。

音楽的にそれほど進化をした年ではないけれども、ビートルズと言う歴史ドラマにおいてはものすごく激動の1年だったことがこの本をよく読むとよくわかります。しかも、知らないエピソードがザクザク出てきて読んでて震えが止まりません!

とにかく、写真も豊富で、文章も短く雑誌のように読みやすくて、135Pをすぐに読んでしまいます

ビジュアル的にも、革ジャンでワイルドだったイメージから、マネージャーになったブライアン・エプスタインの指示により、スーツに着替えて、髪型も変わり始め、いわゆるみんながよく知るビートルズの姿に近づいていく変化がよく分かります。

そして驚くのは、この1962年の出来事が1日毎、365日すべての日の出来事を短いながら紹介していることです。今から約60年前の出来事なのにちょっと凄くないですか?????

例えばこのページは1962年6月の出来事。 ページの両脇に6月1日から30日までの1日ごとに何をしていたかのメモが写真とともに記されています!

いろんなビートルズ研究が進んだからこその、この詳細なる記録でしょう。恐れ入ります。

いろんな出来事があったこの1962年ですけれども、一番読んでいて興味を惹かれたのがメンバーチェンジのことです。 もともとビートルズは5人のバンドでした。ですが、ベースを担当していたスチュワート・サトクリフが、 自ら脱退することになります。 彼は音楽と言うよりは、絵のセンスに優れていたようで、画家になることを決めてビートルズを脱退します。 しかもそれはビートルズがドイツへ巡業に行っていた最中のこと。

ビートルズの名を生み出した夭折の天才アーティスト、スチュアート・サトクリフについて(その1)

そして彼はアストリッドと言う女性と出会い一緒に暮らすことになります。 このアストリッドと言う女性はビートルズ全員とも仲良しで、その後も全員と長い付き合いをすることになります。非常に芸術家肌の人でビートルズにいろんな影響与えた女性だと言われてます。

追悼アストリッド・キルヒャー 彼女が撮った初期ビートルズの素顔(写真ギャラリー)

知的で創造的なイグジストの濃い付き合いの中で、ビートルズは文化的な広がりや深さを得ていくことになる。革ジャンを止め前髪を下ろしたのも彼らの影響だったし、ウィズザビートルズのジャケットで有名な、顔の半分を影にしたポートレートを最初に撮影したのはアストリッドだった。

そしてそのアストリッドと一緒に暮らすことになったスチュワート、通称・スチュだけれども、その後すぐに病気で21歳で死んでしまいます。

彼がビートルズを抜けたことそのものは、音楽的にはそれほど影響がなかったように思えます。というのも彼はベースを担当していたけれども、音楽がやりたかったとはあまり思えないからです。事実そんなに上手じゃなかったみたい。ただジョンの同級生だったようで、ジョンに誘われてベースを買い、バンドに加入することになったと言ういきさつがあるようです

実際ポールなんかはスチュのことを馬鹿にしていたようで、こんなエピソードが書かれています。

ポールがスチュの奏法を中傷するなどして、2人の確執が悪化。堪えきれなくなったスチュがバンド脱退を決めた。

ただジョンにとってはスチュと言う人物は非常に意味があったようで、とても彼は悲しんだと言われてます。

ビートルズ時代のジョンはマッチョで力強いイメージが強いが、それは孤独感と劣等感を隠し、メンバーを引っ張って世界と戦うための虚飾だったような気がする。スチュは、ジョンにとって本当の自分のような存在だったのではないか。だから楽器を弾けない中央バンドメンバーにしていつも近くに置き、誰に何を言われても絶対に外そうとしなかった。

どうですもうこれを聞くだけで興味が湧いてくるでしょう? ビートルズのそばにいながら、ビートルズになれなかった男と言う括りで何人かの人物がいるのですが、シチューはその1番目の人物です。

でもスチュがベースを外れて、ポール・マッカートニーがベースを担当することになって、素晴らしい音楽的才能を開花させていくことを考えると、ビートルズ・ファンとしてはこれでよかったと思ってしまいます。

もう1人のメンバーチェンジについて、ピートベスト。 彼はビートルズの最初のドラマーでした。かれは、スチュとは違って脱退ではなく、首になるんです!!!

ええ!!!!!

このドラマもホントにビックリというか、全然知らなかったけれど、興味津々・・

という風に、ビートルズというバンドが辿ってきたドラマの中でも、1番面白いのがこの1962年なのかも!と思ってしまいます!

いやあ〜 超オススメの1冊です

実は私、デビュー以前のビートルズの演奏についてはあまり興味がありませんでした。しかし、この背景のドラマを知ると、俄然デビュー以前の演奏にも興味がわいてきました

今ではYou Tubeなどに多数音源が公開されているので、ぜひ聞いてみようと思います!

というわけで、ビートルズ好きなら超オススメの一冊です!

さて、私が読んでいて気になったベスト3 フレーズです

同年10月終わりにレイモンド・ジョーンズと言う青年や他の少女たちが、エプスタイン家が経営するレコード店内MSにマイ・ボニーのシングルを探しに来たことがきっかけとなり、エプスタインはそのバンドに興味を抱く。 Cavern Clubで彼らのギグを何度か見て虜になったエプスタインは11月29日に4人に面会し、マネージャーになることを申し出る。

ビートルズは世界的な人気バンドになっていくわけだけれども、その最初のきっかけとなったのが、このブライアン・エプスタインと言うマネージャーとの出会い。

これを読むと、そのきっかけを作ってくれた最初は、ビートルズが演奏していたレコードは置いてないか?と聞きに来た青年だったと言うことがわかる。 彼が質問をしなかったとしたら、ブライアン・エプスタインはビートルズを知る事はなく、そしてもちろんマネージャーになる事はなく、そしてもちろんビートルズは成功する事はなかったのかもしれない・・・

大事な出来事だと言う事はよくわかるけれども、しかし、その聞きに来た青年の名前までわかっていると言うのは恐ろしい・・・

ちなみにこの話は、ブライアンエプスタインの創作ではないか?と言う噂もあったようだ。だけれども、だいぶ経ってからこのレイモンド・ジョーンズと言う青年が実際に名乗り出たようで、本当だったことが明らかになったらしい。それもまた恐ろしい・・

こちらにその出来事の詳細が載ってます。

「ビートルズの謎」The Beatles Raymond Jones (レイモンド・ジョーンズ)

この頃彼は秘書のジュディロックハートスミスと密かに不倫を続けていた。3月下旬にブラックプールで行われた音楽イベントにEMIを代表してマーティンが出席した際にはその秘書も同行させていた。それがきっかけで2人が不倫関係にあることがウッドに露見する。モラルやルールに厳しかった彼は、社内不倫だけでなく、契約更新の際の慣例を破るようなマーティンのロイヤリティー要求にも 腹立たしい思いを抱いていた。定例会で指導コールマンから再びビートルズとの契約を進言されたウッドは一計を思い立つ。いわば罰として、ビートルズとレコード契約をすることをマーティンに命じることだった。マーティンは否応なくその名に応じる。

これは5人めのビートルズと言われた、 明プロデューサー、ジョージマーティンとビートルズの出会いについての解説。

この情報によると、ジョージマーティンはビートルズにはそれほど興味がなかったようで、自分の不倫がバレて会社からクビになりそうだったのの代わりに、無理矢理押し付けられた仕事としてビートルズに取り組んだと言うことがわかる。

ええ〜〜〜 そうだったの??? 衝撃!!!

あんなに名コンビで名曲の数々を生み出したのに????

しかも、この時点より以前に、ジョージ・マーティンは、少なくとも3回はオーディションなどでビートルズを却下していたらしい・・

よほど興味がなかったんだろうね・・

ほんとに出会いと言うのは、どこでどんなになるか、わからないもんだね〜

そして、一緒にやることが決まってからも、こんな風に感じていたそう・・

マーティンの反応が鈍く、そこで聞かされたすべての曲に興味が持てなかった。早急に彼ら(ビートルズ)向きの曲を見つけ出さなければならない必要性を感じた。彼らの作曲能力では売れる見込みは全くなかったと後に語っている

とにかく、最初は興味なかったし、能力も認めてなかったんだね〜〜

3人は以前から感じていた違和感が間違いではなかったことを確信し、水面下で新しいドラマ選びに動き出した。ブライアンは人を事務所に呼び出し、3人は君に出て行ってもらいたいと思っていると率直に解雇をつけた。ビートのファンの抵抗は凄まじく、キャバーン周辺でビートルズを取り囲んだ乱闘騒ぎが起こった。

これはビートルズの最初のドラマーだった ピートベストについての情報。

彼もビートルズになれなかった男としてよく登場する人物だけれども、こんな風にして脱退をさせられたと言うのは全然知らなかった。 ビートルズの最初のドラマーであり、一緒に海外巡業のためにドイツまで行って演奏をしたメンバーだったにもかかわらず、ジョンもポールもジョージもこの人を脱退させることにしたらしい。

結果として、新しいドラマーとしてリンゴ・スターを迎えることになるわけだから、音楽的には良くなるんだけれども・・・ 結構残酷やなぁ・・

その後ビートベストはビートルズとは会ってないらしいけれども、音楽活動は別のバンドで続けていたらしく日本にも演奏しに来たことがあるらしい。

どんな思いでビートルズの成功を観てたんだろう???

やっぱり悔しいよね それに裏切られた思いも強いだろうね

しかも、これはピート・ベストのお母さんについて

彼女は競馬で大当たりした金で豪邸を購入し、地下にカスバと言う若者のためのクラブを作り、結成間もないビートルズに演奏するための場所を提供していた。 面倒見も良くブライアン・エプスタインが現れる前は、彼女が初期ビートルズのブッキング、ギャラ交渉まで行っていたそうだ。

お母さんも、さぞ腹立っただろうね・・・

というわけで、気になる方は、ぜひルルルまでお越し下さい ルルル文庫に線を引きまくった読書済み本を置いてます!

ちなみに作者はこういう方!

ほかにも色々ビートルズ関連本を出しているようなので、ぜひ読んでみたい!

藤本国彦(ふじもと・くにひこ)1961年東京生まれ。1991年(株)音楽出版社に入社し、音楽情報誌『CDジャーナル』編集部に所属(2011年退社)。2015年にフリーとなり、主にビートルズ関連書籍の編集・執筆やイヴェントなどを手掛けている。主な編著は『ビートルズ213曲全ガイド 増補改訂新版』(音楽出版社)、『GET BACK…NAKED』(牛若丸/増補新版は青土社)、『ビートル・アローン』(ミュージック・マガジン)、『ビートルズ語辞典』(誠文堂新光社)、『ビートルズはここで生まれた』(CCCメディアハウス)など。「速水丈」名義での編著も多数。映画『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』『イエスタデイ』の字幕監修も担当。相撲とカレー好き。

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