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2021.05.17
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私はこれでビートルズ沼にハマりました!「真実のビートルズ・サウンド[完全版]」川瀬泰雄 著

こんにちは 高知初のシェアハウス&ゲストハウス支配人のタローです

宿は「待つ」のも仕事 お客さんを待っている間に読書 線を引き引き読んでます

さて、今日の本は・・

真実のビートルズ・サウンド[完全版]

川瀬泰雄

約1月ほどかけてゆっくりゆっくりこの本を読み終えました。ビートルズについての公式に発表されている213曲の全てが発売アルバムの順番に1曲1曲解説されている本です。

表紙はご覧の通り比較的シンプルなデザインなんですけれども、これがなんと全部で570ページあると言うかなり辞書のように分厚い本です。

そして、それを読み終えた私は、今自分がビートルズの「沼」にはまりかけているのを感じています。というか、もうすでにはまったのかもしれません。

ビートルズの公式に発表されている213曲のうちの9割位は私もビートルズファンですから、結構知っています。それに、その半分ぐらいはおそらくギターで弾くこともできます。そのぐらいは私もビートルズのファンでした。

でもこの本を読むと、そんな程度の事はビートルズ・マニアの入り口に立ったかどうかと言う位だったと言うことがよくわかりました。そのぐらい、この本を読むと、作者のビートルズに対する愛情と執念と努力と歴史が垣間見られます

さて、この作者の川瀬康夫さんと言う方ですけれども、単にビートルズ好きと言うだけでなく、本職は音楽プロデューサーだったようで、古くは和田アキ子に始まり、井上陽水、山口百恵、柏原郁恵、その他、松田聖子など多数のアイドルや歌謡曲日本のポップスに音楽プロデューサーとして携わってきた人のようです

だから解説されてる内容が、単にあの時ジョンがこうした、あるいはポールがこう言った、と言うだけではなく、音楽プロデューサーであったと言う視点から、この時はこういう風なことが行われたのではないかと言うような音楽的な推察をしたり、また楽器演奏もかなりこなす人のようなので、 音楽プレーヤーとして楽器演奏家としてこの曲ではギターをこんなふうに弾いている、あるいはこんなふうに叩いていると言うような紹介もしているのが非常に面白かった。

私もギターを弾いたりピアノを弾いたりするのでこーゆー音楽的な楽器的な視点からのビートルズの奇抜さやオリジナリティーを解説されると言うのは非常に興味深かったです。ただし楽譜を使って説明せずに文章でその弾き方などを説明しているので全体的には非常にわかりにくいなと言う印象を持ちました。

どうして簡単でいいから楽譜を掲載しなかったんだろうと思われてなりません。

まぁしかしそれは大した問題ではなく全体を通じてこの人がビートルズの曲1曲に関して調べ尽くしたことを惜しみなく語り尽くしていると言う本で、読めば読むほどあぁ知らないことがザクザク出てきます。

例えばデビューアルバムのPlease Please Meに関してこんな風に書いてます。ジョージマーティンはその頃のビートルズの一番の魅力であるリバプールのライブハウスCavern Clubでの演奏を、そのままライブ録音しようと思った。

なるほどねー確かにこのデビューアルバムはあぁスタジオ録音されているけれどもかなりライブの感覚に近い音作りがされています。けど本当はキャバンクラブでのライブハウスをそのまま録音しようと思ってたのかを知るとそれはそれでぜひ聞いてみたかったなぁと思います。

あるいはこんなことも書かれてました。ポールは自分の名前を、前にしたかった。つまり「レノン&マッカートニー」ではなく「マッカートニー&レノン」と表記をしたかったようです。でもスタッフから語呂が悪いと言われてレノン&マッカートニーになったそうです。

へぇー知らなかった

そしてPlease Please Meの項目。この曲はデモレコーディングの時はバラード調の曲だった。ジョージマーティンはこの曲を何回も聴いた後にメロディーは素晴らしいがこの店舗ではヒットしない。もっとテンポを早めて演奏してごらんと提案したそうです。

その後は皆さんご存知の通り大ヒット曲となりそしてなりました。今ではこの曲がバラードだったと言うことが信じられない位です。

そしてこれはこれも衝撃的な内容でした。ビートルズのデビュー曲となったLove Me Do。この曲は実はリンゴ・スターがドラムを叩いてないそうです。というのもプロデューサーだったロンリチャーズがリンゴ・スターのドラムが気に入らず、りんごに変えてスタジオミュージシャンのAndyホワイトを使ったそうです。 で、りんごは代わりにタンバリンを叩く羽目になったそうです。

これはリンゴ・スターにしてはかなり屈辱的だっただろうなと思います。それにしても他のメンバーもなんも言わんかったのかなあとその辺も気になります、がとにかく当初はリンゴ・スターがメンバーだったにもかかわらずドラムが別の人が叩いたそうです。

ちょっと進んでアルバム「ヘルプ」について。

ロバートフリーマンが撮影したジャケット写真は、フリーマンのアイデアでヘルプを意味する手旗信号にした。しかしいざ撮影になると腕の位置などがビジュアル的に良くなかったために、好きなようにポーズを決めていたが、そのうちにヘルプとは関係のない「NUJV」という文字になった・・

笑える。そんなことを事前に調べとけよっていう感じなんだけれども、こんなことがまかり通っていたとは驚きました。

そして、このアルバムの1曲めとなる「ヘルプ」についてのジョンの言葉。

ジョンはたびたびヘルプを自分が好きなビートルズの曲にあげている。理由はこの曲がリアルだから。たった1つ悔やまれるのは、売れ線の曲にするために、ディラン風のスローな作品を、陽気なビートルズナンバーにアレンジし直したことだと言っている。

なるほど、先程のPlease Please Meの場合と違って、この曲に関しては作者であるジョン自身が売れるためにノリの良い曲に仕上げたけれども、本当はスローな曲にしたかったと言う事なんだ。すごく意外な気がします

そしてジョージの名曲ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスに関して。

ジョンもポールもジョージの曲に関しては真剣に聞こうともせず、とりあえず1曲は入れてあげようと言う程度で、適当にレコーディングしようとしていた。ジョージは、この曲の録音のわずか2時間前、近所に住んでいたEric Claptonの車に便乗して自宅からロンドンへ向かう途中で、ビートルズのセッションに参加しないかと誘った。 クラプトンはビートルズのセッションでの演奏は恐れ多いと誇示したのだが、僕の曲だぞその僕が参加してくれと言っているんだとのジョージの言葉で参加を決めた

あの曲のギターソロをEric Claptonが弾いていた事は有名だし知っていたけれども、彼がレコーディングの2時間前に、たまたま居合わせたから呼ばれて弾いたなんて驚きのエピソードとしか言いようがありません。

そしてそのクラプトンのことも驚きなんだけれども、そのよりさらに驚きだったのはジョンもポールもジョージの曲に関しては適当にレコーディングしていたと言う件。うすうすそうじゃないかなとは思いはしていたけれども、こういう風に聞かされると、なんだか悲しくなってくる。でも2人は天才だったからジョージの曲について かまっている暇がなかったのかもしれない。改めて考えると彼らはこの時24 5歳。まぁそれは無理と言えば無理なのかなー

と、こんなふうに書いていけばキリがないほど、様々な曲に関して、驚くような豆知識というか、雑学というか、隠れエピソードが満載です。それらのことを知るだけでも面白いし、どんどん読み進めていくんだけれども、それよりなお面白いのが、 彼らビートルズがだんだんと後半になっていくにつれて、バラバラになり、仲が悪くなり、険悪なムードになっていくと言うような状況が、本人たちのみならず、周りのスタッフやレコーディングのエンジニアたちからの証言によって、かなりリアルに証言されているのを知ったのは驚きでした。

なんだか、知っている数々の曲の裏側を見て話を聞いて、すごいなと思ったりした反面、一方で「こんな険悪なムードや環境の中で、あの曲が作られたり、歌われたりしたのか・・」と知ると、なんとも複雑な気持ちになってきたりします。なんだか、みてはいけないものを見てしまったようなそんな気もします。

まぁこういうことって、ビートルズに限らず、舞台裏では、表のステージとは全く違ったことが、行われているなんていうのは、よくある話なんだろうとは思うけれども・・ ビートルズほど克明に舞台裏が記録されているグループも少ないだろうから、そのリアルさになんとも驚きます。

このグループ間の修復しようのないバラバラ感を思うと、ビートルズの解散はやむをえなかったと言うことがよくわかります。だけど一方で、それにもかかわらず、よくも最後に数枚あんな感動的なアルバムを作ったなど、それ以上に驚きます

そういう意味でビートルズと言うのは、表からも裏からも楽しめるグループだなぁと言うことがよくわかりました。

ぜひ皆さんもビートルズファンであればこの本読んで一緒に沼に落ちましょう。私はすでに落ちかけているのは自分で自覚してます。だから最近聞くのはビートルズの曲ばっかり。もちろんこの本を片手にもう一度本をじっくり読みながら曲を1曲1曲再生していってます。

さて、私が読んでいて気になったベスト3 フレーズです

と言いながら、今回は残念ながら3つに絞りきれなかったので5つにしてます。

ジョージ・マーティンはアルバムの1曲めは、生声で始まるということを意識して曲順を決めていたと思われる。楽器よりも、声のインパクトの方が強いと言うことを計算していたのだろう。 3枚目のアルバム「A Hard Day's Night」の出だしのジャーンという一発の音を除くと、2枚目の1曲め「IT WON'T BE LONG」、前述の3枚目の1曲め「A Hard Day's Night」、4枚目の1曲目「ノー・リプライ」、5枚目の1曲目「Help!」までは、どのアルバムも生の声で始まっている。 この「I saw her standing there」のカウントの掛け声は、わざわざテイク9のそれを持ってきて、つないである。

今回このような本を読んで初めて気がついた! 確かに5枚目のアルバムまで、すべての1曲めが歌、ないし声から始まっている。なんでこんなことに気がつかなかったんだろう!!!!

これって、どう考えてもわざとそうしたとしか思えない。そのぐらい声と言うものに、ビートルズの価値を置いていたと言うことなのかな。

ちなみに6枚目のアルバム「リボルバー」1曲目は楽器のイントロから始まる。だけど7枚目のアルバムのタックスマンと言う曲。 この曲、実は「ワンツースリーフォー」とお金を数える声を男の人がつぶやいている。そういう意味ではこのアルバムも、声から始まると言える!

いやあ、これは意外な指摘!

目からうろこ!!!

ある日、ビートルズとジョージ・マーティンがコントロール・ルームでプレイバックを聴いていた時に、その場までついてきたヨーコに、ジョンが何気なく、どう思うかを聞いた。すると、驚いたことに、ヨーコが「かなりいいと思うわ。でも、もうちょっとテンポを早くしたほうがいいんじゃないかしら」と言った。 スタジオは全員が凍りつき、ジョンの顔にまでショックと恐怖が浮かんだと言う。セッションはヨーコを無視して再開されたが、ヨーコが自己主張したその時にビートルズの崩壊がスタートした、とジェフエメリックは書いている。

当時、アジア人のヨーコが、世界の人気者・ジョンのそばにぴったりくっついているだけで、かなり不気味だったと思う。同じ日本人としても、不気味だったことだろうがよくわかる!  しかも、黙っているだけならともかく、ビートルズのアルバムのレコーディングにも立ち会うようになり、そして、その曲に対して口を出すようになるとは・・ ある意味オノ・ヨーコと言うのはどういう神経をしてたんだろうと、その図太さにびっくりしてしまう。

それがビートルズ崩壊の始まりだと言われると、なんだか日本人として複雑な気持ちになる・・

あらゆる音楽に精通していたポールは、ジョンよりもずっと早いうちにアバンギャルド音楽にも夢中になっていた。自分でもたくさんのレボリューション9のようなサウンドコラージュ作品も作っていた。それゆえに、この曲はビートルズの作品とみなすのはさすがに無理だと思っていた。 ホワイトアルバムの曲順ギメでは絶対にレボリューション9を入れたくないと言うポールと、何があっても入れろと言うジョンの間で大もめにもめたと言う。結局いつものようにジョンの意見が取り入れられた時、ポールは落胆した。これでジョンの方がより革新的なアーティストとみなされるようになる事は必至だったからである。 ジョージはビートルズっぽくないし、ヘビーすぎて、この曲は聞かないと言っている

これもエピソードを聞いて非常に意外に思ったことの1つ。

こういうアバンギャルドな作品や芸術に対する感性を持っていたのはジョンだけで、それ以外のメンバーは感心がないんじゃないかと思っていた。だからこの曲をジョンが作ったと言う事は、すごく理解できる。でも、他のメンバーはその感性を羨ましがっていたんじゃないかなというのが、私が勝手に想像していたこと。 だけど、どうもこのエピソードを読むと、様々な音楽に興味があったポールは、こんなアバンギャルドな方面の最新の音楽に対しても、すでに情報を得ていたようで、すでにポール自身で、こういう曲作りを自分自身でも、ジョンが取り組むより早くしていたとのこと。そして、それをやってわかった上で、ジョンのこの曲に対して否定的な 感想を持っていたらしい。

で、ポールはこんな曲を入れるべきではないといい、ジョンは絶対入れるといい・・

私は入れてくれて良かったと思っている

そうじゃないと、あんな前衛音楽に出逢うことがきっと無かった 別に好きな曲ではないけど(というか、そもそも曲ですらない)でも良かったと思う

ジョージ・マーティンは、ジョージの辛さは、優れたソングライティングの素質を持っていると認められてなかったことだと思う。誰も彼をジョンとポールと同じレベルで見ていなかった。その点で私は罪の意識を感じている。もう一つの問題は、彼にコラボレーターがいなかったと言うことだ。 ジョンには常にポールがいて、アイデアをぶつけ合うことができた。実際にポールと書いたものでなくても、常に彼がライバルとして仲間として存在していた。ジョージは全く一人きりで、それを私たち3人がさらに悪い方に進めていた気がする。今私はそれを悔やんでいる。

ジョージ・マーティン自身もそう思っていたのかと知って、ちょっと驚いた。だって彼はビートルズのメンバーとは20才ほど年の違う、いい年したおじさんなのに・・

でも、あの天才二人の活躍を間近で観てると、ジョージの才能にも気付く余裕がなくなるのかなあ

ビートルズ解散の原因は、様々な理由が重なったことにあると思うが、よく言われるジョンとポールの確執以上に、ブライアン・エプスタインに代わり、自分がリーダーシップを取らなければ、グループがバラバラになってしまう、と必死に行動していたポールに、ジョージが自分も対等の立場なのだと、反発的な行動をとったことの方が、はるかに大きかったのではないだろうか。

ジョージマーティンの告白を知ると、この作者の意見にも頷ける。ジョンとポールは確かに確執があっただろうけど、それは天才であり戦友であった者同士のすれ違いだから、なんとか時間が解決することができただろう。でもジョージの問題はまた別だったんだろうね・・・

もし、マネージャーだったブライアン・エプスタインが若くして死んでしまったから生きていたら、4人をまとめる別の方法があったのかも知れないと思うと・・・ 残念でなりません・・

というわけで、気になる方は、ぜひルルルまでお越し下さい ルルル文庫に線を引きまくった読書済み本を置いてます!

※この記事は、音声入力により書かれたものですので、一部文字変換などが不正確な場合もありますが、臨場感?を大事にするために、そのまま掲載しています。そこも含めてお楽しみ下さい!

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